天気の子 ネタバレ全開 最後の解釈

天気の子、良かった。

SFなのかとおもってたら、ジャンルはまさかの世界系だった。

こういうのはだいたいどっちも救いたいと主人公が決意してどんでん返しがおきてハッピーエンド!が定番だと思うけど今作はそうはならない。投げっぱなしのまま終わりもせず、結末のその先まで描かれている。それが最後の10分ぐらいで一番批判が多い部分だと思う。

 

タイトルにも書いたが、ネタバレ全開で語りたいことを。

あの最後、自分はものすごく好きだ。

帆高は世界が雨だらけでもいいといって、陽菜を救った。そのあと雨が降り続けて3年たった。

あの時点で帆高や陽菜の行動には2つの解釈が提示されていた。

一つ目は、圭介たち大人が言った解釈で、「異常気象といっているがせいぜいここ数百年の話で異常気象ではない。自然の一部」「何百年も前は東京も海に沈んでいた。それが元に戻るだけ」。これは帆高たちに対する優しさでもあり、だからお前らは気に病むことはないという意味でもある。

2つ目は普通にみんなが考える解釈。やはりあの気候は異常気象で、それをとめるために陽菜は天気の巫女の力を授かったのに、帆高が陽菜を救ったことで儀式が中断され、異常気象が続いているという考え方。要するにあの二人が悪いって解釈。

陽菜に会う前に帆高は大人たちに説得されて、1つ目の解釈を伝えようとする。これは自然の一部なんだと。自分たちが悪いわけじゃないと。しかし、その考えに違和感を覚えている。

そして、陽菜に会うシーン。

陽菜は雨の中で祈っている。すでに天気の巫女の力は失われているのか、晴れてはいないように見える。しかし、晴れてほしいと必死に祈りを捧げていた。陽菜は自分のしたことに対して罪悪感を抱えている、ということだと思う。作中何度も「私たちは世界の在り方を決定的に変えてしまったんだ」というセリフが出てくることでもわかるように陽菜の解釈は二つ目の方であり、おそらくそれが事実なのだろう。

それを見て帆高も思いなおす。1つ目の解釈は優しい嘘ではあるけど、結局それを伝えたところで陽菜は納得しないと気付く。

で、そのあと二人で抱き合って、俺たちは大丈夫、と独白する。

これは「俺たちは大丈夫」というただの楽観的な考えではなく、「大丈夫ということにしてみせる」という帆高の決意の表れだろう。世界と陽菜を引き換えにして陽菜を選んだのだからその選択に責任を持つ、自然現象だから自分たちの責任ではないという優しい嘘に逃げ込まず、しかし何があっても陽菜を守ってみせるという決意の表明だと思う。

主人公が決意をするところで物語は終わる、「答えは得たよ」エンドである。この先は書かれていないが、どんな困難があったとしても帆高は陽菜を守り通して見せるだろう。

そう決意できる帆高はかっこいいし、この作品が出した世界系へのアンサーが自分は好きだ。